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***輝け主の栄光***Shine, Jesus, Shine


by lumenchristi
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見えるしるしと見えないしるし

イエスの聖テレジアおとめ教会博士 記念日
第八回百日連続共同祈願 031/100/8

とかくするうちに、数え切れないほどの群衆が集まって来て、
足を踏みあうほどになった。
イエスは、まず弟子たちに話し始められた。

                    (ルカによる福音書12・1、新共同訳聖書)


勘違いして翌日16日(年間第28金曜日奇数年)の朗読箇所を読んでしまいました025.gif
でも示されたことがあるのでこれはこれで神に感謝。

「とかくするうちに」とは、「ルカによる福音書」の流れでは、
イエスがファリサイ派の人から招待されて食事の席に着く前に
実を清めなかったことをきっかけに、
「あなたがたは不幸だ」と非難された律法学者やファリサイ派の人々は怒り狂って
いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始めていると、
となります。経過した時間の長さは分かりませんが。
ここの部分が本当は今日の福音朗読です。

このみ言葉を聞いてまず思い出したのは、
1988年5月に訪れたメジュゴリエ。
当時はまだユーゴスラビアでした。
聖母の出現が報告されてあと1ヵ月で7周年になる頃でしたが、
なにしろニューヨーク発ドブロニク着(ザグレブだったかも)のユーゴスラビア航空の機内誌に
メジュゴリエが紹介されていたくらいでしたから
当時の共産主義国にも見逃せない相当な経済効果があったのでしょう、
とにかくあの小さな村に「数え切れないほどの群衆が集まって来て」いました。

だから私が期待していた祈りの雰囲気とはまるで違うので最初はがっかりしました。
聖ヤコブ教会のミサでは大切な聖変化中「写真を撮らないでください」と
司式司祭が頼んでいるのに数か所でフラッシュがたかれ、
聖体拝領のため列に並べば足を踏まれ、
土産物店で並んで待っていると割り込む人あり、と
人間の弱さばかりが目についてしまって。
巡礼団の添乗員、シスターIに泣きついたら、
"Look to God, not Man!" (人に注目しないで神に注目しなさい!)と一喝されて
目が覚めました。

メジュゴリエ滞在最終日に私が心に受けたメッセージは、
あの幻視者たちにとって見えることがマリア様が彼らと共にいるというしるしであり、
彼らには彼らの役割があり、
私にとって見えないことがマリア様が私と共にいるというしるしであり、
私には私の役割がある、ということ。
私はイエスがまず語りかけられる弟子たちの中にいるから。

ちょうど2週間前に教会が記念した幼きイエスの聖テレジア(1873-1897)も、
今日教会が祝うイエスの聖テレジア(1515-1582)も、
同じカルメル会、おとめ、キリストがすべて、教会博士(後世に与えられた称号ですが)
という共通項がある一方、
生きていた時代・国・生涯の長さ・神との一致を体験した喜びや苦しみなどは
全然違います。

二人を薔薇の花にたとえるなら、こんな感じかな?

見えるしるしと見えないしるし_f0185902_10561734.jpg見えるしるしと見えないしるし_f0185902_10563379.jpg










写真はバラの図鑑(無料素材) より使用させていただきました。
天国の庭は百花繚乱ですね。
by lumenchristi | 2009-10-15 23:11