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***輝け主の栄光***Shine, Jesus, Shine


by lumenchristi
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シャルロッテ

マリアのみ名 ∞ Holy Name of Mary

1991年8月~10月のヨーロッパ巡礼(放浪)の旅の一こま。
9月12日、私はオーストリアのウィーンにいた。
例によって記録がすぐに出てこないのだが、
ポーランドのクラクフから再度ウィーンに入ったのがたぶん10日か11日の夕方で、
米国のFranciscan Univ. of Steubenvilleで知り合ったオーストリア人の友人の
アパートに泊めてもらうことになっていたのに、
連絡の行き違いで(当時は062.gifなし)彼女は留守、
前回彼女が連れて行ってくれた小さな教会に行ってみた。
そこにも彼女はいなかったが、ロザリオの祈りを捧げていた司祭と20人くらいの信者がいた。
司祭に英語で事情を話し、
「女性が一人で宿泊できる安全な場所を知りませんか」と尋ねていたら、
一人の初老の女性が英語で「じゃあ、私が泊めてあげる」と申し出てくれた。
それが、シャルロッテ。
すぐに打ち解けて、いろいろ話をした。
彼女の試練だらけの複数の結婚生活や遠い国に住んでいる一人息子のことも知った。
今はイエス様とマリア様に支えられてひっそり静かに生きているようだった。

12日の朝、シャルロッテから、
「今日はマリア様のみ名の祝日だから特別なミサにあずかるのだけれど、一緒に来る?」
と尋ねられ、もちろんついていった。
たどり着いたのは、教会ではなく大きな体育館のような場所だった。
最低1000人はいたと思う。
もちろんミサはすべてドイツ語で、聖書朗読も説教も何一つ分からなかったけれど、
ご聖体のイエス様はいつもと同じように私のうちに来てくださった。

マリアのみ名をあれほど盛大に祝うミサに与ったことは、30年の信仰生活で後にも先にもない。
典礼上の区分も一番軽い「任意」だし。
今年調べてみて納得した。
New Advent Catholic Encyclopedia: Feast of the Holy Name of Mary

最初にこのマリアのみ名を祝うミサを始めたのは1513年スペインで、
聖マリアの誕生を祝う9月8日から数えて8日目の9月15日に定められていた。
それから何回か祝日は移動。

1683年8月、神聖ローマ皇帝(ハプスブルグ家のレオポルト1世)の居城だったウィーンが
オスマン・トルコ帝国に攻撃され、包囲された。「第二次ウィーン包囲」と言う。
ウィーンを脱出した皇帝の要請に応え、
ヨーロッパ諸国連合軍を率いていたポーランド王、ヤン3世ソビェスキが
自国軍をチェンストホーヴァの聖母に奉献してオスマン・トルコ軍を打破したのが9月12日。
1908年(女子パウロ会のLaudateによると1911年)、
教皇パウロ10世はキリスト教国が勝利したこの日をマリアのみ名を祝う日に定めた。

だから、ウィーンではこの9月12日は歴史的記念日だったのだ。

私の「巡礼1991」は、もともとその年8月のワールドユースデイのチュンストホーバから始まった。
だから、チェンストホーバの聖母、ポーランド人のパパ様ヨハネ・パウロ2世、と
つながっていたのだなと思う。

友人と連絡がとれるまでシャルロッテと3、4日一緒に過ごした。
ウィーン市内の公園に咲く秋のバラを見て「きれいだね~」と言い合ったことを覚えている。
別れるとき、彼女の目に涙が浮かんでいた。
帰国後何度か手紙を出したけれど、返事は来なかった。
最後の手紙は住所不定で日本に戻ってきた。

我が家の庭に咲く秋のバラを見ると、
突然転がり込んできた外国人を天使のようにもてなしてくれたシャルロッテを思い出す。
バラと一緒に空を見上げて、
「いつか、イエス様とマリア様のもとで、顔と顔を合わせて会おうね」とつぶやく。

シャルロッテ_f0185902_12262212.jpg

by lumenchristi | 2009-09-12 15:33