***輝け主の栄光***Shine, Jesus, Shine


by lumenchristi
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<   2009年 11月 ( 10 )   > この月の画像一覧

新しい扉を開いて

待降節第1主日
第八回百日連続共同祈願 76/100/8

f0185902_13421178.jpg   カトリック教会の典礼歴では、
   今日が元日に当たります。

   玄関のリースに待降節の典礼色、
   紫の紙テープを結びました。
   主日ごとに一個ずつ増やしていきます。

   『毎日の黙想』12月号も待降節版で、
   今日から大みそかまでの日々の黙想に加えて
   随想3編と良心の究明が掲載されています。


ご本家のThe Word Among Usf0185902_13463640.jpg
毎回充実した記事揃えで、
表紙も毎回異なるテーマに沿った
写真や絵が選ばれていますが、
我らが日本語版は待降節号から1年間、
年間テーマを持つ同じ表紙で
勝負(!?)します。
毎年祈りつつ表紙を描いてくださるのは、
ドミニコ会のP. ジラール神父様。


f0185902_14103282.jpg   見返しには、
   神父様ご自身の説明があります。

   2010年、教会の典礼の暦は
   「ルカによる福音」によって展開され、
   信者の信仰を養う。
   ルカは、他の福音記者よりも
   次の点を強調しているように感じられる。
   イエスは預言者であり、救い主であり、
   人間の親しい友であるということ。
   ルカにとって、イエスの言葉は
   「命の泉」であり、
   受け入れる人には
   「救いをもたらす神の力」だからである。

   ルカによる福音は、イエスの幼少時代の
   いくつかの意味深いエピソードや
   聖母マリアの美しい姿を
   芸術家のように描いている。

ルカの心に映るイエスは、優しく、憐みに満ちた方であり、
特に小さな人、貧しい人に親しく接する方である。


なにかと忙しく気ぜわしいこの季節、
1枚の絵を新たなまなざしで見つめるように
キリストの誕生という救いの神秘に浸るひと時を
大切にすることができますように。
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by lumenchristi | 2009-11-29 15:19

エスナック30周年

年間第34土曜日
第八回百日連続共同祈願 075/100/8

9月8日の記事でも紹介しましたが、私が教育里親として協力している国際協力NGO、
エスナック教育里親グループ(アジアとアフリカの子どもたちに教育をおくる会、
Educational Sponsorship of Needy Asian & African Children)

創立30周年祝賀会に行ってきました。

 黙想、祈りの指導者として、インドやバングラデシュを訪問したシスター藤田文子は、その国の最も有効かつ必要な援助は子供の教育だと思いました。
 1979年のクリスマスに、第一回『イエス様の誕生祝い』を開いたとき、招待状に『クリスマスはイエスキリストの誕生日。プレゼントをもらうのは誰なのでしょう?』と書きました。
この問いかけに多くの子供たちが自分のもらったプレゼントを『イエス様に!』と捧げに来たのです。このとき献金も24000円あり、『この尊い献金を何に使えばイエス様は喜ばれるか?と、シスターは祈りました。ちょうどそのとき、『インドでは24000円で一人の子供が学校にいける』という一枚のチラシが送られてきたのです。さっそくロペスというインドの女のこのためにそのお金を送りました。こうして私たちの活動が始まりました。〈エスナック公式サイトより〉


私がシスター藤田と知り合ったのは、
ミズーリ州立大学コロンビア校で1年間過ごした交換留学を終え、
1980年6月に帰国してからのこと。
シスターは前年世界見聞旅行から帰国、
旧知の仲であるM神父(私に洗礼を授けてくれた霊父)が指導する学生の祈りのグループで
黙想指導をしておられました。

始まったばかりの小さな教育里親グループ、
当時はパソコンもありません。
私を含め祈りのグループの学生たちは、
シスター藤田が話してくれるインドやバングラデシュの極貧の子どもたちの様子に心を打たれ、
封筒の宛名書きや切手貼りを手伝うようになりました。

私は大学院を修了して社会人になった1983年にインドの男の子の教育里親になり、
1991年にインドで15歳になった彼と感激の対面。
3年後に彼は基礎教育を修了して社会人となりました。
現在は1991年から支援しているバングラデシュの神学生Sくんと
昨年から支援しているエチオピアの女の子Lちゃんの教育里親をしています。

新宿の会場に向けてまずは最寄りのJR駅まで車で20分、
ところが渋滞にひっかかり、
工事現場にひっかかり、
周辺のコイン駐車場はどこも満車008.gif
ベツレヘムで泊まる場所を探す聖家族のようにうろうろし、
やっと場所を見つけて駅まで走り、電車に飛び乗りました。

都庁を見上げながら急ぎ足、f0185902_23373987.jpg
無事に新宿オークシティに到着したものの、
今度は会場にたどり着くまでうろうろ、
誰もいない受付から
自分の名札とプログラムをとって入室しました。

参加者は50人ほど。
例年エスナックのイエス様の誕生祝いでは、
参加者がクリスマスカードを持参し、
それぞれが受け取った自分以外のカードの
贈り主のために1年間祈る約束をします。
私が入室した時は、
カードの交換も終わり、
順番に自己紹介しているところでした。


f0185902_2338062.jpg
   私もクリスマスカードを準備していたのですが
   赤ちゃんのイエス様に贈り物を届けることができなかった
   4人目の博士のように
   なにやら情けない気持ちに。
   しかし、第二部の記念祝賀会で
   里親代表の一人としてご挨拶することになっていたので、
   なんとかそこでお祝いと感謝の気持ちを伝えることはできました。


この日供された飲食物は、エスナックが扱っているダージリンのおいしい紅茶と
手作りやおみやげとして全国から里親さんが持ってきたお菓子。
私が今まで出席した創立記念祝賀会の中で見た目は一番質素な(笑)おもてなしでしたが、
これぞエスナックの真髄!というべきでしょうか。

今日の集いの詳細は、エスナックのブログで見ることができます。
私もちらりと写真に写っています。

エスナック『イエス様の誕生祝い&エスナック30周年記念祝賀会』の様子
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by lumenchristi | 2009-11-28 23:33
年間第34金曜日
第八回百日連続共同祈願 074/100/8


f0185902_13302417.jpg9月7日に掲載したくるみパンがきっかけで
なぜか断食談義に花が咲き、
焼いてくれたご本人もびっくり、だったB子さんの
傑作パン、再び登場です。
今日はマーブルパン。
焼く前からこのように美しいマーブル模様が。
余談ながらこれは本来の大理石(マーブル)の
模様というより水面に絵具を垂らして作る
マーブリングの模様だと思いました。

ここで初めて見ました!
市販のチョコレートシート。
A4弱サイズ、厚さ1cmほどの板状の
チョコレートクリーム(?何と呼ぶのやら)が
プラスチックの袋に密閉されています。

f0185902_13303916.jpg   これを第一次発酵させたパン生地の上に乗せ、
   折り込んではのばし、を数回繰り返し、
   丸めて二等分し、マーブル模様を上にして
   型に入れて二次発酵させます。
   甘~い香りを放って焼きあがったのが、
   このパン。
   あまりにおいしそうで、
   目がぐるぐる巻きになってしまいます。

   おみやげとして自宅に持ち帰り、
   腹ペコ中学生の娘が帰宅してから
   まだかすかに温かいパンを
   大きめに切り分けて一緒にいただきました。

おいしさに夢中になり、翌々日に食べ終わるまで、
前回のくるみパンのように美しい切り口を撮影することを完全に忘れていました。

f0185902_914113.jpg〈12月18日追加〉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この記事を読んでくれたB子さんご本人が
右の写真を送ってくれました。
どうです、この美しい木目029.gif
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

天から降って来た生きたパン
(ヨハネによる福音書6・51)であるイエスは、
神の国もこのようにたとえています。

神の国を何にたとえようか。
パン種に似ている。
女がこれを取って3サトンの粉に混ぜると、
やがて全体が膨れる。
 

(新共同訳聖書・ルカによる福音書13・20~21)


1サトンは約12.8リットルだから、3サトンは38.4リットル。
1リットル入りの牛乳パック38.4個分になります。
これだけの量でいったい何個のパンが作れるのでしょうか。
イエスのパン種で膨らんでできあがる神の国のパンは、
何人の人の心と体を満たしてくれるのでしょうか。

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by lumenchristi | 2009-11-27 23:07
年間第34木曜日
第八回百日連続共同祈願 073/100/8

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             〈近所のスーパーで売っているドライフルーツのクランベリー〉

11月23日は勤労感謝の日(新嘗祭)でしたが、
今日11月の第4木曜日は米国では感謝祭
由来が似ていて、万国共通の人間の心情に興味をそそられます。

この感謝祭、私は米国留学中に5回(1979年、87~90年)祝いました。
この週は前日の水曜日から日曜日まで5日間大学が休みになり、
学生寮のカフェテリアも閉鎖されるので、
たいていルームメイトや友人が招待してくれるままに
帰省する彼女たちにくっついていって休暇を過ごしました。
ミズーリ州、ミシガン州、ペンシルバニア州、オハイオ州、どこに行っても
感謝祭当日の過ごし方はだいたい同じで、
まず私を招いてくれた友人とご家族は全員クリスチャンだったので、
午前中は家族ぐるみで教会の礼拝に与ります。
米国のカトリック教会にはちゃんと感謝祭用の典礼と聖書朗読があるんです。
正午すぎに帰宅すると親戚がぞくぞくと集まって来ます。
日本のおせち料理のように、感謝祭定番のご馳走が大きなテーブルに所狭しと並べられ、
食前の祈りを捧げたらあとはひたすら食べて歓談食べて歓談の繰り返し。
七面鳥の丸焼(中の詰め物は日本のお雑煮のように各地方各家庭で特徴あり)、
マッシュポテトとグレービーソース、とうもろこし粉を使ったコーンブレッド、
クランベリーソース(手作りは見たことがなく、たいてい缶詰の円柱ゼリーがスライスされていた)、
ヤムという名のさつま芋のようなオレンジ色の芋をゆでた(ここは記憶があいまい)もの、
さやいんげんのソテー、
デザートはアップルパイ、パンプキンパイ、ピーカンパイ、などにアイスクリームを乗せて。
お腹がいっぱいになったら全員で散歩に出かけます。
そして帰ってきたら、また食べる。
ある意味、1621年に最初に感謝祭を祝ったとされるピルグリム・ファーザーズの空腹感、
というより空腹感から満腹感への移行を追体験する儀式のようでした。

ある年は、留学生の私が誰からも誘われていないのではないかと気遣って、
履修していた授業の教授が感謝祭の食事に招待してくださいました。
また別の年には目前に迫る期末テストの準備のためにあえて友人たちの誘いをことわって
水曜日にキャンパス内の図書館で勉強していたら、
個人的に話したことのなかった図書館員のJさんが突然話しかけて来て、
感謝祭の食事に招いてくださいました。
Jさんは台湾出身で、横浜にあったセント・ジョセフ・カレッジの卒業生でした。
招待をありがたくお受けしてご自宅に伺うと、
同じく台湾出身の奥様が作られた感謝祭のごちそうを
4人のお嬢さんと末っ子の息子さんと一緒に楽しくいただきました。
アジア系の人間だけでいただく七面鳥やアップルパイ、
このおもてなしの心、これもアメリカなんだな、と妙に納得した一日でした。

神よ、あなたは万物の造り主、
ここに供えるパンとぶどう酒はあなたからいただいたもの、
大地の恵み、労働の実り、
わたしたちのいのちの糧となるものです。

      (ミサ・感謝の典礼におけるパンとカリス[杯]を供える祈りより。通常は別々に祈ります。)
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by lumenchristi | 2009-11-26 11:10

神の王国

王であるキリスト(年間最終主日)
第八回百日連続共同祈願 069/100/8


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「王であるキリスト」という祭日が暦に加えられたのは、
意外と最近で、1925年(大正14年)12月11日に、
教皇ピオ11世が回勅「クァス・プリマス」(Quas Primas)を通して制定しました。

第一次世界大戦と第二次世界大戦のはざま、
共産主義国家が生まれ、ヒットラーやムッソリーニが台頭する中、
1000年以上所有していた教皇領は消滅し(1870年)、
現在バチカン市国として知られる東京ディズニーランドよりも小さい敷地から、
ピオ11世はあらゆる国家を超える普遍的なキリストの王権を宣言しました。

バチカンの公式サイトに掲載されている英訳(他にもラテン語・伊仏西訳あり)の一部を
和訳してみました。

もしカトリック世界全体がキリストを王として崇敬することを私が定めるなら、
現代の必要に応えることになり、
同時に今社会を汚染する疫病に効く優れた治療薬を提供することになります。
私が言う疫病とは、反聖職権主義とその誤りと不敬な活動です。
敬愛する兄弟たちよ、あなたがたも十分御承知のとおり、
この悪しき風潮は1日にして出現したのではありません。
長い間表面下に隠れていたのです。
すべての国に及ぶべきキリストの支配は拒絶されました。
教会がキリストご自身から受けている権利、すなわち人類に教え、法を定め、
永遠の救いに関するすべてにおいてあらゆる国民を治める権利は否定されました。
そして次第にキリスト教は誤った諸宗教のように見なされ、
屈辱的にもそれらと同じ地位に置かれるようになりました。
それから教会は国家の権力下に置かれ、おおよそ君主や支配者の気まぐれに耐えてきました。
一部の人々はさらに進んで、
神の宗教の代わりに人の心の本能的な愛情からなる自然宗教を設立することを願いました。
さらにある国々の人々は、自分たちは神なしでやっていける、
不敬と神をないがしろにすることこそ自分たちの宗教であると考えました。
このようにキリストの権威に逆らう個人と国家の反逆は嘆かわしい結果を生んできました。
すでに回勅「ウビ・アルカノ」(訳注・「キリストの王国におけるキリストの平和」、1922)で
嘆きましたが、今一度嘆かずにはいられません。
不和の種は広範囲にばらまかれ、
国家間の悲痛な敵意と対立はいまだに平和という目的を大きく妨げています。
飽くことを知らない貪欲(どんよく)は、しばしば公共心や愛国心を隠れみのにしてまかり通り、
多くの個人間の不和を生じさせています。
盲目的で節度を欠いた利己主義によって人は自分の安楽と利益のみを求め、
それらによってすべてを測っています。
家庭には平和がありません。人が自分の務めを忘れるかあるいは顧みないからです。
家族の一致と安定は弱体化するばかりです。
一言でいえば、社会は根底から揺るがされ、破滅の道をたどっているのです。
しかし、これから毎年祝うことになる王であるキリストの祝日は
社会が私たちの愛する救い主のもとに立ち帰る日を早めてくれることを私は強く望んでいます。
この幸福な結果を生じさせるためにできるかぎりのことをすることこそ、カトリック信者の務めです。
しかし、多くの信者たちは、
真理のたいまつを掲げる者たちにあって当然の社会的地位も権威も持っていません。
この状態はおそらく善意の人々が抱いているためらいと臆病に起因しているのでしょう。
彼らは闘争に巻き込まれることを好まず、反対したとしても強硬に抵抗はしません。
それで教会の敵はますますあつかましく攻撃をしかけてくるのです。
しかし、信徒たちが、
彼らの王キリストの旗のもとに勇敢に戦うことは彼らの義務であることを広く理解するなら、
使徒的熱意に燃えて、主に敵意を抱いたり主から遠ざかっている人々を
主のために勝ち取ろうと努力を惜しまず、果敢に王の権利を守ろうとするでしょう。(24)


この祭日は当初11月1日の諸聖人の祝日の前の主日に祝っていましたが、
第二バチカン公会議の典礼改正後、年間最終主日に移行されました。

教皇ピオ11世が「クァス・プリマス」の前半で再確認しているように、
キリストが王であることは、今日のミサで朗読された箇所を含め、
旧約聖書と新約聖書を通して証しされています。

日本語で「神の国」と訳されている新約聖書のギリシア語は、
正確には「神の王国」(バシレイアス・トウ・テオウ)です。
英語でも、"the kingdom of God"と訳されています。

ご自分の民と永遠の命を共有するために
いばらの冠を受け入れられた王(バシレウス)、イエス。
これほど王から愛されている民が、
聖霊によって「使徒的熱意に燃えて」神の王国を広げることができますように。
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by lumenchristi | 2009-11-22 23:55

空の向こうに

聖マリアの奉献 記念日
第八回百日連続共同祈願 068/100/8

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今日は空ばかり見ていました。
南の国行きの飛行機が我が家の真上を通るわけでもないのですが。

夕暮れに家並みのすき間から見えた月
あの南西のかなたに飛んで行った友とご家族に
主の豊かな祝福と守りがありますように。

そういえば、私も18年前1991年の今日、
エスナックの代表、Sr.藤田文子と他の教育里親さん数人と共に
里子に会いに成田空港からインドのムンバイ(当時はボンベイ)に飛びました。

飛行機に乗る時はとくに、
故レオ・ヨセフ・スーネンス枢機卿の言葉(と私は記憶しているのですが)、
「マリア様と聖霊の両翼で飛びなさい」を思い出します。
このベスト・カップルの翼があれば、
心を強くもって地上の旅路を最後まで歩むことができそうです。
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by lumenchristi | 2009-11-21 23:02
年間第33金曜日
第八回百日連続共同祈願 067/100/8

日系ブラジル人の姉妹から二つの祈りを原語のポルトガル語と日本語訳で教えてもらいました。
どちらの言語でも、祈る人にも祈られる人にも、
今週第一朗読の「マカバイ記」で登場したように、若い人にも若くない人にも、
この祈りを通してただ一人の天の父の豊かな祝福と一致がありますように。

青年のための「主の祈り」∞Pai nosso dos Jovens

<天におられるわたしたちの父よ。>
 Pai-Nosso Que Estais nos Céus;
     若い人たちの心にいる わたしたちの父よ。
        Pai-Nosso que estais nos corações jovens
     わたしたちの歩みを導いてくださる父よ。
        Pai-Nosso que conduzis nossos caminhos e ideais.
     見捨てられている若い人たちの父よ。
        Pai-Nosso e Pai dos jovens desamparados.
     この世界をより良いものへと導いてくださる わたしたちの父よ。
        Pai-Nosso e Pai da humanidade que luta por um mundo melhor.

<御名が聖とされますように。>
 Santificado Seja o Vosso Nome;
     わたしたちの毎日の行動の中で 御名が聖とされますように。
        Em nossas ações diárias.
     わたしたちが語る言葉によって 御名が聖とされますように。
        Nas palavras que pronunciamos.
     わたしたちが善を行うことによって 御名が聖とされますように。
        No bem que podemos realizar.
     あなたに賛美と感謝を捧げることによって 御名が聖とされますように。
        No louvor e ação de graças que elevamos a Vós.

<御国が来ますように。>
  Venha a Nós o Vosso Reino;
     希望を失った若い人たちと 堕落の道に陥ってゆく若い人たちに
      希望の御国が来ますように。 
        Reino de luta e esperança para os que vivem no desânimo e nos vícios.
     家族から遠く離れている若い人たちに 良き友を得る御国が来ますように。
        Reino de compreensão para os que vivem longe de suas famílias.
     愛を失って、憎しみに陥っている若い人たちに 赦しの御国が来ますように。
        Reino de perdão para os que vivem no ódio e desamor.
     あなたの子供であるわたしたちに 信仰と誠実さを保つ御国が来ますように。
        Reino de fé e compromisso para nós, os jovens vossos filhos.

<御心が天に行われるとおり 地にも行われますように。>
  Seja Feita a Vossa Vontade, Assim na Terra como no Céu;
     わたしたちの毎日の行いの中で 御心が行われますように。
        Seja feita a vossa vontade nos nossos afazeres diários.
     わたしたちがあなたの御言葉を語る時に 御心が行われますように。
        Seja feita a vossa vontade quando pregamos vossa Palavra Viva
     わたしたちが善を行う時に 御心が行われますように。
        Seja feita a vossa vontade quando praticamos o bem para com todos.
     わたしたちが神の愛を証しする時に 御心が行われますように。
        Seja feita a vossa vontade quando testemunhamos o vosso amor.

<わたしたちの日毎のかてを 今日もお与えください。>
  O Pão Nosso de Cada Dia Nos Dai Hoje;
     あなたの子供であるわたしたちに 日毎のかてをお与えください。
        Dai-nos o pão que sacia a fome dos vossos filhos.
     御聖体と御言葉によって 日毎のかてをお与えください。
        Dai-nos o pão da Palavra e da Eucaristia.
     友愛と正義によって 日毎のかてをお与えください。
        Dai-nos o pão da fraternidade e justiça.
     仕事と文化、信仰と愛によって 日毎のかてをお与えください。
        Dai-nos o pão do trabalho, cultura, fé e amor.

<わたしたちの罪をお赦しください。わたしたちも人を赦します。>
  Perdoai-nos as Nossas Ofensas,
       Assim como Nós Perdoamos a Quem nos tem Ofendido;
     主よ わたしたちの罪をいつも赦してください。
       Perdoai, Senhor, nossas ofensas constantes.
     わたしたちを侮辱した人たちを 主よ 赦してください。
       Perdoai, Senhor, aqueles que nos ofenderam ou que nós ofendemos.
     わたしたちが仲間はずれをしてしまったことや、友情関係を壊してしまったことに対して
      主よ 赦してください。
        Perdoai, Senhor, nossas inimizades e exclusões.
     わたしたちがあなたをもっとまじめに愛することができなくて 主よ 赦してください。
        Perdoai-nos, Senhor, por não vos amar com intensidade.

<わたしたちを誘惑におちいらせず 悪からお救いください。>
E Não Nos Deixeis Cair em Tentação, Mas Livrai-nos do Mal.
     福音に対して無責任となる 悪からお救いください。
       Livrai-nos do mal do descompromisso para com vosso Evangelho.
     わたしたちがあなたの御心を無視する 悪からお救いください。
       Livra-nos das incoerências em que vivemos.
     わたしたちを間違った道におちいらせず 悪からお救いください。
       Livrai-nos dos erros que cometemos.
     わたしたちを誘惑におちいらせず 永遠の命を得ることができますように。
       Livrai-nos do pecado e da morte eterna
                                                   アーメン
                                                     Amém!


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               〈小伝馬町江戸牢屋敷跡十思公園にて〉

青年のための祈り∞Oração para os jovens

主よ 若い人たちを、ヨセフ様、マリア様に倣う者としてください。
聖家族のような家庭を作り上げてゆくことができますように。
この世界が、あなたの望んでおられる世界となりますように。

若い人たちが、惑わされることがありませんように。
悪の道におちいりませんように。
歩む道をサタンから守ってください。
罠に落とされそうになった時、助けてください。

困難や腐敗、乱れた世の中を通らなければならなくても
善を忘れることがありませんように。

物に支配される時代の中、富の誘惑に心を奪われることがありませんように。
あなたが与えてくださった仕事を通して、あなたを賛美し、
人々との絆、調和を大切にしてゆくことができますように。
そして何より、あなたに心を向けて、あなたをたたえることができますように。
それが一番大切な宝であって、お金で買うことは絶対にできないのです。

あなたの御心がわたしたちの上に。そして全ての家族の上に。
世界中の若い人たちの上にありますように。
いつも聖母マリア様の心に引き寄せてください。
アーメン

Senhor, transformai todos os nossos jovens em "José e Maria", luzes que jamais se apagam, para que verdadeiros lares de Nazaré ressurjam e assim a humanidade se torne o paraíso que planejastes.

Que nossos jovens não caminhem com os que não Vos seguem para que não caiam em suas emboscadas, e todos seus passos sejam afastados das sendas do Inimigo para que não andem nunca mais pelo caminho do mal.

Dai-lhes asas, Senhor, pois assim, em vão jogarão a rede sobre eles. E mesmo em meio a tantas dificuldades e corrupções, não permitais que desistam do bem.

Em um tempo de tanto materialismo, não se tornem ávidos de riqueza: antes trabalhem para seu sustento, para que nada lhes falte e Vos bendigam por todos os verdadeiros presentes que Vós lhes concedeis: saúde, harmonia e paz de uma consciência tranqüila num coração plenamente voltado a Vós.

Pois essas riquezas são as mais necessárias e por dinheiro algum se consegue adquiri-las.
Completai Vossa obra em mim, em todas as famílias e nos jovens do mundo inteiro, Senhor, inserindo-nos para sempre dentro do Vosso Santíssimo Coração e no de Vossa Santa Mãe, Maria Santíssima. Amém.

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by lumenchristi | 2009-11-20 08:39

いい歯の日

年間第32主日
第八回百日連続共同祈願 055/100/8

f0185902_8393823.jpg   今日は「いい歯の日」だそうです。
   えっ、そんなのあったっけ?と調べてみたら、
   1993(平成5)年に、
   日本歯科医師会によって制定されたそうです。
   ちなみに、4月8日も「よい歯の日」だとか。
   なんだ、やっぱり私が子供の頃にはなかった、
   その頃は6月4日の「虫歯予防デー」しか
   なかったよね、と思って確認したら、
   正確には「虫歯予防デー」は
   1928(昭和3)年から1938(昭和13)年まで
   日本歯科医師会が実施していた記念日で、
   1958(昭和33)年から現在まで
   6月4日~10日を
   「歯の衛生週間」としているとのこと。

上のポスターは、娘が小学6年生のときf0185902_840085.jpg
「歯の衛生週間」にあわせて
地元の歯科医師会が主催したコンクールで
入賞した作品。
漢字の「歯」の一画が一本の「歯」になっていて
なかなかの発想です(親バカ発言)。

それにしても、
歯医者に行くのはなぜにこうもおっくうなのか。
かかりつけの歯科医院では一度通院すると、
半年後にご丁寧に検診のお誘いのはがきが届く。
虫歯治療の半年後の検診はまじめに行き、
「はい、大丈夫ですね」と言われて
歯石だけとってもらって終わると、
次の半年後の検診には
自覚症状がないともう行かない。

6月ごろ何気なく上唇をめくってみたら、
前歯の歯茎寄りに以前茶色いくぼみだったのが
完全に「うろ」になっていました005.gif
でも痛くないので、電話で予約しなければと思いつつ
ずるずる引き延ばしていたら、
先月今度はもう一本、すでに神経を抜いた奥歯の歯茎に鈍い痛みを感じるようになり、
とうとう観念して行きました。

まずは、奥歯の歯茎は軽い歯肉炎と診断され、薬を塗って様子見。
前歯の穴は削って歯と同じ色の樹脂(?)で充填され、すっかりきれいになりました。
麻酔は打たれて即効果が現れ、すご~いと思ったのですが、
完全に抜けるまで5時間かかり、これもすごいと思いました。

前歯の虫歯の原因は、
「強く歯磨きするため歯の表面が傷ついた」からだそうです。
過ぎたるは及ばざるがごとし、
ただみがくだけではなく、正しくみがく必要があります。
治療の最終回には衛生技師の若いお嬢さんから
幼稚園児のように歯の磨き方を教わりました。

歯医者に行くのがおっくうなのは、
ゆるしの秘跡に与るのがおっくうなのと似ているかもしれません。

虫歯は自分の力で絶対治せない。奇跡で治ることはもちろん否定しませんが。
罪とその結果は自分の力だけでは絶対消去できない。
ここで必要なのは、回心という「父の家」への帰路に向かる第一歩。

今回のように今時の虫歯の治療はほとんど痛みを感じないですむようになっています。
あの「キュイーン」という音だけは心理的に怖いけど。
ゆるしの秘跡だって、罪を告白した後に、
「なぜもっと早く告解しに来なかったのですか」とか
「それはひどい罪ですね~」あるいは
「そんなばかばかしいことでいちいちゆるしの秘跡にあずからなくてよろしい」とか
聴罪司祭から責められたことは一度もありません。

司祭は叙階の秘跡においてキリストの権能をゆだねられているので、
キリストの耳をもって私の罪の告白を聞き、
キリストの頭をもって私の罪を理解し、
キリストの心をもって私のすべてを受け入れ憐れみ、
キリストの口をもって「わたしはあなたを赦します」と宣言するのです。

だからこそのあの平安、あの安堵感、
また聖霊と共にやり直そうというあの勇気、なのでしょう。

だって教会は遠いし、
神父様は忙しいかもしれないし、と
ぐずぐず言い訳をしてしまう私のような信者にも、
教会はご丁寧に(私のかかりつけの歯科医院のように)
年に二度、待降節と四旬節に、
「そろそろ定期検診にいらっしゃい~」と招待状を送ってくれます。

私たちの霊がこのゆるしの秘跡(英語ではSacrament of Reconciliation、和解の秘跡)を
通していやされ、キリストの体がますます元気になり、
復活の主の栄光を輝かせることができますように。
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by lumenchristi | 2009-11-08 06:30

同じ空

年間第31火曜日
第八回百日連続共同祈願 050/100/8

冬が近づいています。
今朝は我が家で今シーズン初の暖房日となりました。

寒いけれど、
空は昨日と打って変わってすがすがしい青空でした。

子供の頃から雲の形が何に見えるか考えるのが好きでした。

正午すぎ、外出先でケータイのカメラで、
子豚に見える雲に向かってシャッターを切りました。

f0185902_18262110.jpg


でも、南西に向かって撮って逆光になったせいか、
雲も空も自分の目で見た色より暗く写ってしまいました。
おまけに、電柱や電線も写っていて目ざわりです。

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そこで、今度は真上に腕を突き出して頭上の空を撮りました。
すると、人間の作ったモノは何も写らず、
目で見た通りの美しく鮮やかな青い空と白い雲が写りました。
右上の雲がバロック絵画によく描かれているような
幼子の天使に見えたのですが、いかがでしょうか。

ちょっとした角度の違いですが、
10月15日付の記事に書いた、
"Look to God, not Man!"
を思い出しました。

百日連続共同祈願もちょうど半分の道のりまで来ました。
遠くに「主の降誕」のゴールが見てきました。

神よ、あなたの顔の光を、
わたしたちの上に照らしてください。

   (今日の答唱詩編より)
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by lumenchristi | 2009-11-03 23:41

姉妹なる死

死者の日
第8回百日連続共同祈願 049/100/8

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「死者の日」にきまって思い出すのは、
アシジの聖フランシスコがイタリア語(ウンブリア地方の方言)で書いたものとしては
唯一の作品という「兄弟太陽の歌(Cantico di Frate Sole)」。
「すべての被造物の賛歌」
(ラテン語でLaudes Creaturarum、 イタリア語でCantico delle Creature)とも呼ばれます。

マグダレナ・マリアさんのクレイ・アートの作品のように
太陽、月、星、空気、水、火、土、と
神に造られたあらゆる被造物を兄弟姉妹と呼び
造り主をたたえよ、と祈るフランシスコは、
後半で「肉体の死」も「姉妹」と呼んでいます。

「フランシスコと共にいたわたしたちは~レオネ、ルフィーノ、アンジェロ兄弟たちの報告記」
(佐藤翔子・渡辺義行訳、小さき兄弟会監修〔フランシスコ会〕、あかし書房 1985年)の

78 聖ダミアノ聖堂で兄弟太陽の歌を作詞する
79 フランシスコ、賛歌の使い方を説明する
80 フランシスコ、賛歌にゆるしの一節を加える

にこの賛歌の成り立ちが書かれています。

1224年、帰天する2年前、
聖痕を受ける前か後かは本書だけでは確認できないのですが、
すでに重病で目の病気に苦しんでいたフランシスコは
聖ダミアノ聖堂のむしろでできた庵で50日間
寒さとねずみたち(食事中に食卓に登ってくるほど!)にさらに苦しめられ、
主に助けを求めたところ、主から慰めを受けました。
そしてこの賛歌を作り、
「仲間たちに歌い方を教えた」そうです。
今でもその歌い方が伝わっているのかどうか、
フランシスコ会のイタリア人司祭、C神父様にお尋ねしなければ。

後半のゆるしの一節は、
アシジで司教と市長がいがみ合い、
(そういえば、映画「ブラザーサン、シスタームーン」でも
どちらが先に帰還する十字軍を城門で出迎えるかでもめてました)
司教は市長を破門し、
市長は市民が司教と売買取引することを一切禁止する条例を出して対抗する、
という泥沼状態にあったとき、
二人を和解させるために加えられました。
フランシスコは二人の兄弟を司教と市長の前でこの「兄弟太陽の歌」を歌わせます。
そして、
「きっと、主が、お二人の心を謙遜にしてくださいますから、
互いに平和を結び、元通り友人となって愛し合うようになるでしょう」
というフランシスコの預言は成就します。

神への愛のために誰かを赦す。自分に死をもたらす者を赦す。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
と言われたイエス(ルカ23・34)。
「主イエスよ、わたしの霊をお受けください。(……)
主よ、この罪を彼らの負わせないでください」と大声で叫んだステファノ(使徒言行録7・59-60)。
最後の最後にこの橋を渡ることができるだろうか。
橋の向こうにはイエスが両手を広げて待っている。
天使も聖人の声援も聞こえる。
まだ橋のこちら側で後に続く者たちも祈りで応援できる。
今日は、死者の日。


こよなく高く 全能の 善き主よ
     Altissimu, onnipotente, bon Signore,
賛美と 栄光 誉れと すべての祝福は おん身のもの
     T'ue so' le laude, la gloria, l'honore et onne benedictione.

いと高き方よ これらは みな おん身にのみ 帰すべきもの
     Ad Te solo, Altissimo, se konfano,
実におん身のみ名を 呼ぶにふさわしき者 この世にひとりとてなし
     et nullu homo ène dignu te mentovare.

おお たたえられよ わが主 すべての 被造物によって
     Laudato sie, mi' Signore cum tucte le Tue creature,
わけても兄弟なる太陽によって
     spetialmente messor lo frate Sole,
太陽は昼をつくり 主はかれによってわれらを照らす
     lo qual è iorno, et allumeni noi per lui.
彼はなんとうるわしく なんと大いなる輝きを発していることか
     Et ellu è bellu e radiante cum grande splendore:
いと高き方よ 彼こそはおん身のみ姿を宿す
     de Te, Altissimo, porta significatione.

おお たたえられよ わが主 姉妹なる月と 無数の星とによって
     Laudato si', mi Signore, per sora Luna e le stelle:
おん身は それらを 天にちりばめ 光さやかに 気高く うるわしく つくられた
     in celu l'ài formate clarite et pretiose et belle.

おお たたえられよ わが主 兄弟なる風と
     Laudato si', mi' Signore, per frate Vento
澄んだ空気と 雲と 晴れた空に あらゆる天候によって
     et per aere et nubilo et sereno et onne tempo,
おん身はこれら兄弟でつくられたすべてのものを支えてくださる
     per lo quale, a le Tue creature dài sustentamento.

おお たたえられよ わが主 姉妹なる水によって
     Laudato si', mi' Signore, per sor Aqua,
水は益多く 謙虚にして とうとく清らかなもの
     la quale è multo utile et humile et pretiosa et casta.

おお たたえられよ  わが主 兄弟なる火によって
     Laudato si', mi Signore, per frate Focu,
おん身はこの兄弟で夜を照らしたもう
     per lo quale ennallumini la nocte:
火はきわめてうるわしく 喜ばしく力強くたくましい
     ed ello è bello et iocundo et robustoso et forte.

おお  たたえられよ  わが主 われらの姉妹 母なる大地によって
     Laudato si', mi' Signore, per sora nostra matre Terra,
大地はわれらをはぐくみ つちかい
     la quale ne sustenta et governa,
八千草の実と色とりどりの草花を生み出す
     et produce diversi fructi con coloriti flori et herba.

おお たたえられよ わが主 おん身への 愛のためにゆるし
     Laudato si', mi Signore, per quelli che perdonano per lo Tuo amore
病と苦しみを耐え忍ぶ者によって
     et sostengono infirmitate et tribulatione.


幸いなこと 終わりまで安らかに耐え抜く者
     beati quelli kel sosterranno in pace
かれはおん身より 永遠の冠を受ける いと高き方 おん身より
     ka da te, Altissimo, sirano incoronati.

おお たたえられよ わが主 姉妹なる 肉体の死によって 
     Laudato si' mi Signore, per sora nostra Morte corporale,
この世に 生を受けたもの ひとりとして この姉妹から のがれることは できない
     da la quale nullu homo vivente po' skappare:
災いなこと 大罪のうちに 死ぬ者
     guai a quelli ke morrano ne le peccata mortali;
幸いなこと おん身の とうときみ旨を 果たしつついく者
     beati quelli ke trovarà ne le Tue sanctissime voluntati,
もはや第二の死もかれをそこない得ない
     ka la morte secunda no 'l farrà male.

おお すべての 被造物よ 主をたたえ 祝し 感謝せよ!
     Laudate et benedicete mi' Signore, et rengratiate
深くへりくだって主に 仕えよ
     et serviateli cum grande humilitate.


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by lumenchristi | 2009-11-02 22:08