***輝け主の栄光***Shine, Jesus, Shine


by lumenchristi
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カテゴリ:今日のみことば( 21 )

夏の実り

年間第22主日

5週間続いて主日のミサで朗読されたヨハネによる福音書6章から
今日はB年の主役、マルコによる福音書に戻りました。
8月も終わり、子供たちの夏休みも終わり。
いろいろなところへ行って、いろいろな出会いがありました。
我が家の小さな菜園もよくがんばってくれました。
今は袋に隠れて巨峰が成熟中。
多くの夏の実りを神に感謝しつつ、次の季節に入ることにしましょう。

良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。
(第2朗読 使徒ヤコブの手紙1・17、新共同訳聖書)

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by lumenchristi | 2009-08-30 23:53 | 今日のみことば

キラキラ再び

聖バルトロマイ使徒 祝日

共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)で十二使徒の一人に数えられるバルトロマイ。
三福音書とも十二名の順番はほぼ同じで、
バルトロマイはいつも12人中フィリポ(5人目)に次いで6人目に名が挙げられています。
このバルトロマイ(「トロマイの息子」という意味)と
ヨハネによる福音書1章に登場するナタナエルは同一人物、というのが教会の伝統的な見解。
確かにヨハネ福音書でも、ナタナエルはフィリポ(明らかに友人か知人)に紹介されて
イエスと出会います。

3週間前に開催された(なんだかずいぶん前のような気がしてしまいます)
聖霊による関西大会の講師、ルフス神父様は、
「私の出身州ケララに最初に福音をもたらしたのはバルトロマイ(ナタナエル)で
1400年後にフランシスコ・ザビエルが再び福音をもたらしました」とおっしゃり、
使徒トマスのことしか記憶になかった私は
不意打ちをくらってしどろもどろ通訳になってしまいましたが008.gif
確かにバルトロマイはヘブライ語で書かれたマタイによる福音書を携えて
インドで福音を宣べ伝え、殉教した、という伝承があり、
この伝承を4世紀の教父が二人、記録に残しています。

今日の第一朗読を読んでいたら、
昨日与った主日のミサを思い出しました。
司式司祭は日本人とインド人のお二人、
40人ほどの会衆は日本人、フィリピン人、ブラジル人、ベトナム人と様々。
福音朗読と説教は日本語と英語で、
「御手の中で(In His Time)」も日本語と英語で歌い、
主の祈りは日本語とタガログ語(美しい歌)で、
最後のお知らせも日本語とタガログ語で。
いつか最高の宝石として輝く日を夢見て磨かれつつある今も
神の栄光を受けて小さなきらめき072.gifを放っているように
私には見えたのでした。

都は神の栄光に輝いていた。
その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。

(ヨハネの黙示録21・11、新共同訳聖書)
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by lumenchristi | 2009-08-24 21:20 | 今日のみことば

Regina Coeli

天の元后聖マリア 記念日 ∞ Memorial of the Queenship of the Blessed Virgin Mary 

「天の元后」はラテン語のRegina Coeliの直訳なんでしょうね、きっと。
英語では「天の」とは敢えて言わず、queenship。
「元后」もこのマリア様の称号以外にはめったにお目にかからない日本語ですが、
いったいいつごろからこの訳語が使われているのか、
翻訳者としては興味があります。
この祝日が教皇ピオ12世によって制定されたのは1954年ですが、
ピオ12世が回勅Ad Caeli Reginam(バチカンの公式サイトで閲覧できる英語版)で
私たちに教えているように、
4世紀の教父たちはすでにマリアを「天の女王」と呼んでいたのですから。

今日の記念日と年間第20土曜日の朗読箇所は
何年に一度この組み合わせになるのかわかりませんが、
とてもふさわしいみことばだと思います。

第一朗読は、ダビデのひいおばあちゃんになった異邦人ルツの物語。
短い物語(新共同訳で8ページ)とはいえ、
昨日始まったばかりなのに今日は4ページも飛んで完結してしまいました。
皆さん、飛ばされている部分も読んでおきましょう。
ルツと姑ナオミとのやりとり、夫となるボアズとのやりとり、
どれも思いやりと慈しみに満ちています。

答唱詩編の128はマリアの生涯そのものです。

答唱: しあわせな人、神をおそれ、主の道を歩む者。
詩編: (……)
     実り豊かなぶどうの木のように、妻は家庭を潤す。

     オリーブの若木のように、子供たちは食卓を囲む。
     神の祝福がシオンから臨み、いのちのある限り、
     エルサレムの栄えと、数多くの子孫の群れを見る。

そして、マタイによる福音。

あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。
(23・11-12、新共同訳)

このイエスの教えを最も忠実に実行して救いのみ業に協力したのは、だ~ぁれ?
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by lumenchristi | 2009-08-22 23:01 | 今日のみことば

光の神秘

主の変容 祝日

毎年この日は午前8時からNHKの広島平和記念式典を観て、
8時15分には私も起立して1分間の黙祷を捧げていましたが、
今年はなぜか(というよりなぜ今まで思いつかなかったのやら)
ロザリオで祈ろうと思い立ちました。

広島に原爆が投下されたとき、爆心地から1km離れたイエズス会の修道院にいた
アルペ神父や他の司祭たちが放射線の影響を受けず救護活動できるほど元気だったのは
ファティマの聖母のメッセージに従って毎日ロザリオの祈りを捧げていたからだと
彼らが証言したことを
関西大会である人と話をしたことが頭に残っていたからかもしれません。

テレビは消音にして画像だけで式典の進行が見られるようにしておき、
木曜日だし「主の変容」が神秘の一つとして入っている光の神秘を
8時から祈り始めました。
第3の神秘、「イエス、神の国の到来を宣言される」で天使祝詞を5回祈ったところで
ちょうど15分になり、犠牲者の冥福を祈って1分間黙祷。
またロザリオの祈りを再開し、祈り終わったのはちょうど8時半でした。

ピカドンの死の光がキリストの命の光に吸い込まれるために
8月6日は選ばれたのかもしれません。

わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。
荘厳な栄光の中から、
「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、
主イエスは父である神から誉と栄光をお受けになりました。
わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。

(ペトロの手紙二 1・16-18、新共同訳聖書)
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by lumenchristi | 2009-08-06 21:18 | 今日のみことば
年間第17主日
第6回百日連続共同祈願ミサ 94/100日

神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、
一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。
愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、
霊による一致を保つようにしなさい。

Live in a manner worthy of the call you have received,
  with all humility and gentleness, with patience,
  bearing with one another through love,
  striving to preserve the unity of the spirit through the bond of peace.

(エフェソの信徒への手紙4・1-4、新共同訳聖書/New American Bible)


ってミサの第二朗読で確かに聞いた。
早朝だったけど眠くはなかったし、
「ああ、このみ言葉、いつ聞いてもいいよね~」032.gifと思いながら聞いていたのだ。
もちろんご聖体もいただいた。

そして帰宅後、数時間もたたないうちに033.gif状態に。
悪いやつ031.gifにすきをつかれてしまった。
今日の私を見透かすようにパウロは続けてこう書いていた。

怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。
日が暮れるまで怒ったままでいてはなりません。
悪魔にすきを与えてはなりません。
(……)
悪い言葉を一切口にしてはなりません。
ただ、聞く人に恵みが与えられるように、
その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。
神の聖霊を悲しませてはいけません。
あなたがたは、聖霊により、贖〔あがな〕いの日に対して保証されているのです。

If you are angry, let it be without sin.
The sun must not go down on your wrath;
  do not give the devil a chance to work on you.
(……)
Never let evil talk pass your lips;
  say only the good things men need to hear,
  things that will really help them.
Do nothing to sadden the Holy Spirit
  with whom you were sealed against the day of redemption.

(エフェソの信徒への手紙4・26-27、29-30、新共同訳聖書/New American Bible)

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by lumenchristi | 2009-07-26 23:50 | 今日のみことば

使徒ヤコブの祝日に

聖ヤコブ使徒 祝日
第6回百日連続共同祈願ミサ 93/100日

今日は十二使徒の一人、聖ヤコブの祝日です。
父親の名はゼベダイ(マルコによる福音書1・19他)、
母親の名はサロメ(マタイによる福音書27・56、マルコによる福音書15・40他)、
兄弟の名はヨハネ、同じく十二使徒の一人。

今日の福音朗読(マタイによる福音書20・20-28)を読んで、
中学生の娘は「よくそんなずうずうしいことがたのめるねえ」とあきれていたけれど、
親としてはサロメ母さんの気持ち、分からないわけでもない。
イスラエルの「王」になるかもしれないカリスマラビに
息子が二人も「側近」として選ばれたのだから、
夢と期待もふくらむというもの。
彼女はガリラヤ湖のほとりで網元をしていたであろう夫のゼベダイを家に置いて
自分は他の婦人たちと一緒にイエスや使徒たちの世話をしていたほどなのだから。

でもサロメはイエスの死と復活を目撃します(マルコ15・40、16・1)。
たぶん聖霊降臨も息子たちと一緒に体験したでしょう(使徒言行録1・14)。
それから約10年後、ヤコブがヘロデ・アグリッパ王の命令で殺されたとき、
まだ生きていたとしたら、イエスが言われた言葉を思い出して、何を思ったでしょうか。

確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。
(マタイによる福音書20・23、新共同訳聖書)

サロメは初代教会と共に、また息子ヨハネが引き取ったイエスの母マリアと共に歩み続け、
本当にイエスが言われたように、「イエス・ヤコブ・ヨハネの母、兄弟姉妹」になったのでは、
と考えても間違いではないように思います。

ところで、旧約聖書の創世記に登場するイサクの息子も、新約聖書に登場する使徒も、
日本語表記はヘブライ語の音に近いヤコブですが、
英語だと旧約聖書のヤコブはJacob[ジェイコブ]で、
新約聖書のヤコブはJames[ジェイムズ]になります。
これは、ヤコブJacobがスペイン語でJaime[ハイメ]となり、
それが英語に伝わってJamesとなったのだとか。
では、ヤコブの聖遺物を有するとされているサンティアゴ・デ・コンポステラでは
Santiago=Sant Iagoだから、ヤコブは「イアーゴ」?
なんだか伝言ゲームみたい。いったいいつどこで"m"が入ったのか?

先週までお世話になったJ-SHINE小学校英語指導者養成コースで
「バナナじゃなくて、bananaチャンツ」という教材がありましたが、
「ヤコブじゃなくて、Jacob, Jaime, James!」と歌いたくなってしまいます060.gif
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by lumenchristi | 2009-07-25 23:39 | 今日のみことば

夏は来ぬ

年間第14木曜日
第6回百日連続共同祈願ミサ 77/100日

わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。
しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。
命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。

(創世記45・4-5、新共同訳聖書)

今日の第一朗読、ヨセフのこの言葉、
1400年後に世に来られたイエスの言葉と重なります。058.gif

この和解をきっかけにイスラエル(ヤコブ)とその一族はエジプトに下り、
ヤコブの死とヨセフの死で創世記は終わります。
次の章はそれから430年後のエジプトから始まります。
来週から5週間、年間19週まで、
週日の第一朗読は出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、とモーセ五書が読み継がれ、
モーセに率いられた神の民が約束の地に入るまで荒れ野で過ごした40年間の
成長記録(?)をたどります。

我が家の食卓に上るようになった夏の野菜を見ていたら、、
荒れ野を行く神の民の泣き言が聞こえてきました。007.gif

民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、イスラエルの人々も再び泣き言を言った。
「誰か肉をたべさせてくれないものか。
エジプトでは魚をただで食べていたし、
きゅうりやメロン、葱(ねぎ)や玉葱やにんにくが忘れられない。
今では、わたしたちの唾(つば)は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない。」

(民数記11・4-6、新共同訳聖書、8月2日の第一朗読より。「メロン」は「すいか」の説あり。)


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by lumenchristi | 2009-07-09 23:59 | 今日のみことば

イエスの手当

年間第14月曜日
第6回百日連続共同祈願ミサ 74/100日

読み慣れている、聞き慣れている、知っているつもりの聖書の物語も
日を置いて改めて触れると新たな発見があります。

今日の福音書はイエスが指導者の娘を生き返らせ、イエスの服に触れる女をいやされた話、
マタイによる福音書9・18-26から。
同様の話はマルコによる福音書5・21-43とルカによる福音書8・40-56にも収録されています。
マルコとルカは共通点が多く、詳細にわたっているけれど、
マタイはそれを要約したコンパクト版のような印象を受けます。

今日初めて気がつきました。
マルコとルカ版では父親の会堂長ヤイロが「娘が死にそうです」と言ってイエスに助けを求め、
家に向かう途中で死んでいるのに対し、
マタイ版では、父親の指導者(名前なし)がイエスに会いに行ったとき、娘はもう死んでいます。
父親は初めからイエスに死者の復活を期待しているのです。
しかも、重い皮膚病を患っている人にすら、律法上汚れることを恐れずに手を置いていやされる
イエスのやり方をおそらく知っていた父親は、大胆にも、
死んだ娘に手を置いてやってください、と頼んでいます(民数記19・12、14、16参照)。
そうすれば生き返る、と固く信じて。

そして、進もうとされるイエスの後ろに
12年も病気で出血が続いている女が近づいて来て、
自分が人を律法上汚れさせる存在であることも顧みず(レビ記15・25参照)、
イエスの服の房に触れます。
(房については民数記15・38、申命記22・12参照。)
そうすれば治してもらえる、と固く信じて。
彼女はイエスから
「あなたの信仰があなたを救った」と言われ、病はいやされます。

死んでいた少女も(マタイでは年齢不詳、マルコとルカでは12歳)
イエスが手を取ると息を吹き返します。

どんなに汚れていても受け入れてくださると信じる私たちの手と
私たちがどんなに汚れていても愛して御自分の血で清めてくださるイエスの手とが
結ばれる時、奇跡は起こります。051.gif
死者が生き返らず、病気がいやされなくても、
内側では何かが変わっています。
清めは起こっているのです。
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by lumenchristi | 2009-07-06 23:08 | 今日のみことば

使徒トマス語録

年間第13土曜日
第6回百日連続共同祈願ミサ 72/100日

昨日教会がお祝いした使徒トマスの名は、
使徒言行録と同様、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)にも
十二使徒の名前リストの中で挙げられているだけですが、
ヨハネによる福音書は3か所でトマスの発言を記録しています。
(以下、引用はすべて新共同訳聖書)

1. 死んだラザロのもとにイエスが行こうとされたとき。

   そこでイエスは、はっきりと言われた。
   「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、
   あなたがたにとってよかった。
   あなたがたが信じるようになるためである。」
   すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、
   「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。
   (11・14-16)

2. 逮捕される直前の最後の教えの中でイエスが
   「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」と言われたとき。

   トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。
   どうして、その道を知ることができるでしょうか。」

   イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、いのちである。
   わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
   (14・5-6)。

3. イエスが復活された日の夕方、イエスに会いそびれ、1週間後に会えたとき。

   十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、
   イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
   そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。
   「あの方の手に首の跡を見、この指を釘跡にいれてみなければ、また、
   この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

   さて、八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。
   戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、
   「あなたがたに平和があるように」と言われた。
   「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。
   また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。
   信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
   トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
   イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。
   見ないのに信じる人は、幸いである。」
   (20・24-29)。

なんだか3回とも空気読めないというか、
ちぐはぐな会話のやり取りだなと思ってしまいますが、
他の「分別ある使徒たち」が言えなかったことを
トマスはイエスに対する愛と信頼に満ち満ちて
すなおに言うことができた、とも考えられます。
イエスにつき従っていたときのトマスは、何歳だったのかな。
私の想像の中ではヨハネのように年若い世代に属しているのですが。

そういえば、昨日の午後3時、晴れていたので久々に近くの川沿いの遊歩道を歩きながら
「神のいつくしみの祈りの花束」を祈っていたとき、
イエスと十二使徒を思わせる集団2組に遭遇しました。
思わずケータイのカメラで撮影を試みたのですが、
使い慣れないのでお恥ずかしショットです。

1組目は、草深い川を行くカモ6羽。

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2組目は、田んぼで優雅に着陸と離陸を繰り返すサギ8羽。緑の中の白い点点がそうです。

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見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(詩編133・1)
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by lumenchristi | 2009-07-04 23:47 | 今日のみことば

新たな日々へ

年間第13火曜日
第6回百日連続共同祈願ミサ 68/100日

f0185902_1431293.jpg   イエスのみ心の月も今日でおしまい。
   2009年の前半も今日でおしまい。
   パウロ年も昨日でおしまい。
   豊かな祝福を与えてくださった主に感謝しつつ、
   また新たな日々を歩もう。

   先週から第一朗読で進んでいる
   アブラハムの物語、
   今日はソドムの破滅から
   救われるロトと家族のくだり。
   とてもとても深い(創世記19・15-29)。
   ゆっくり思い巡らしていたら夜が明けてしまう。
   ためらうロトを主は憐れみ、
   背中を押すように避難させる。

   命がけで逃れよ。
   後ろを振り返ってはいけない。


でも、ロトの妻は後ろを振り返って塩の柱になってしまう。

上の写真は小5だった娘が理科の実験でモールを芯にして作った塩の結晶。
なんだか後ろを振り返っているロトの妻みたいだね、と言って、
その年の四旬節中ずっとテーブルの上に飾っておきました。

いっぽう、今日の福音朗読は、年間第12主日(6月21日)に朗読されたマルコによる福音書と
同じ内容のマタイ版で、イエスが嵐を静める物語。

行く手の嵐はイエスが鎮めてくださる。

ためらっても、恐怖にのまれそうになっても、
主は私たちとともにおられる。
   
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by lumenchristi | 2009-06-30 23:53 | 今日のみことば