2009年 05月 14日
ユニークな欠陥 ∞ Unique Flaw
聖マチア使徒
(復活節第5木曜日 33/50日)
第6回百日連続共同祈願ミサ 21/100日
畠神父どっとコム|マラナタ 主よ 来てください|
5月7日付コラム「造られたものでむだになるものはない。」に掲載されていた英語の逸話。
英語圏では広く知られているようです。
日本語に訳してみました。

ひびの入った壺と完全な壺
一人の中国人老女が2個の大きな壺を持っていました。
てんびん棒の両端に1個ずつ下げ、それを肩にしょって水を運ぶのです。
1個の壺は傷ひとつなく完全で、
いつもふちまでいっぱいに水をためておくことができましたが、
もう1個の壺にはひびが入っていました。
老女が小川で水を汲み、長い道のりを歩いて家に着くころには、
ひびの入った壺に入れた水は半分に減ってしまっていました。
丸2年もの間毎日毎日この調子でした。
老女は壺1個半の分量の水しか家に持って帰ることができませんでした。
当然、満杯で水を運べる完全な壺は鼻高々です。
一方、ひびの入った不完全な壺は恥ずかしくてしかたがありません。
本来の力量の半分しか発揮できない自分がとてもみじめでした。
2年も辛酸をなめてきたある日、ひびの入った壺は小川のほとりで老女に話しかけました。
「私は自分が恥ずかしくてたまりません。
この脇のひびのせいで、せっかくの水があなたの家に向う途中ずっと漏れ出てしまうのですから。」
老女は微笑んで答えました。
「気が付いていたかい?
お前が通る側の道端には花が咲いていて、
もう一つの壺が通る側の道端には花が咲いていないことを。」
「お前の欠陥はずっと前からわかっていたよ。
だから、私はお前が通る側の道端に花の種をまいておいたのさ。
私たちが家路につくたびに、お前が花の種に水をやっていたんだよ。」
「おかげで2年の間、私はここからきれいな花を摘んで家の食卓に飾ることができたのさ。」
「今あるがままのお前がいなかったら、この家をこんなに美しく彩ることはできなかったんだよ。」
私たち一人ひとりには、他の人にはないユニークな欠陥があります。
でも、一人ひとりがひびや欠陥を持っているからこそ、
一緒に生きていくことがこれほどおもしろくて実りも多いのです。
ですから、一人ひとりをありのままに受け入れ、
一人ひとりの内に善を見いだそうではありませんか。

マチアを迎えた新「十二使徒」もそれぞれ独自のひびの入った壺として、
命の水の川のほとりで
主イエスが聖霊をふちまで満たし、
イエスがかついで行く先々で生ける水を
時には勢いよくまき散らし、
時にはひびからぽとぽと漏れ出させて
世界中に福音の種を育てていった、
と言えるかもしれません。
種まき作業は現在も進行中。
もっと集まれ、ひび入り壺たち!
あなたがたがわたしを選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだ。
あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、
また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、
わたしがあなたがたを任命したのである。
互いに愛し合いなさい。
これがわたしの命令である。
(ヨハネによる福音書15・16‐17 新共同訳聖書)
(復活節第5木曜日 33/50日)
第6回百日連続共同祈願ミサ 21/100日
畠神父どっとコム|マラナタ 主よ 来てください|
5月7日付コラム「造られたものでむだになるものはない。」に掲載されていた英語の逸話。
英語圏では広く知られているようです。
日本語に訳してみました。

ひびの入った壺と完全な壺
一人の中国人老女が2個の大きな壺を持っていました。
てんびん棒の両端に1個ずつ下げ、それを肩にしょって水を運ぶのです。
1個の壺は傷ひとつなく完全で、
いつもふちまでいっぱいに水をためておくことができましたが、
もう1個の壺にはひびが入っていました。
老女が小川で水を汲み、長い道のりを歩いて家に着くころには、
ひびの入った壺に入れた水は半分に減ってしまっていました。
丸2年もの間毎日毎日この調子でした。
老女は壺1個半の分量の水しか家に持って帰ることができませんでした。
当然、満杯で水を運べる完全な壺は鼻高々です。
一方、ひびの入った不完全な壺は恥ずかしくてしかたがありません。
本来の力量の半分しか発揮できない自分がとてもみじめでした。
2年も辛酸をなめてきたある日、ひびの入った壺は小川のほとりで老女に話しかけました。
「私は自分が恥ずかしくてたまりません。
この脇のひびのせいで、せっかくの水があなたの家に向う途中ずっと漏れ出てしまうのですから。」
老女は微笑んで答えました。
「気が付いていたかい?
お前が通る側の道端には花が咲いていて、
もう一つの壺が通る側の道端には花が咲いていないことを。」
「お前の欠陥はずっと前からわかっていたよ。
だから、私はお前が通る側の道端に花の種をまいておいたのさ。
私たちが家路につくたびに、お前が花の種に水をやっていたんだよ。」
「おかげで2年の間、私はここからきれいな花を摘んで家の食卓に飾ることができたのさ。」
「今あるがままのお前がいなかったら、この家をこんなに美しく彩ることはできなかったんだよ。」
私たち一人ひとりには、他の人にはないユニークな欠陥があります。
でも、一人ひとりがひびや欠陥を持っているからこそ、
一緒に生きていくことがこれほどおもしろくて実りも多いのです。
ですから、一人ひとりをありのままに受け入れ、
一人ひとりの内に善を見いだそうではありませんか。

マチアを迎えた新「十二使徒」もそれぞれ独自のひびの入った壺として、
命の水の川のほとりで
主イエスが聖霊をふちまで満たし、
イエスがかついで行く先々で生ける水を
時には勢いよくまき散らし、
時にはひびからぽとぽと漏れ出させて
世界中に福音の種を育てていった、
と言えるかもしれません。
種まき作業は現在も進行中。
もっと集まれ、ひび入り壺たち!
あなたがたがわたしを選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだ。
あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、
また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、
わたしがあなたがたを任命したのである。
互いに愛し合いなさい。
これがわたしの命令である。
(ヨハネによる福音書15・16‐17 新共同訳聖書)
by lumenchristi | 2009-05-14 12:33 | Trackback | Comments(2)
自分のこと欠けた器だと思っていますが、なんだか自信を持って欠けた器になれそうです(^-^)
欠けた器も、きっとどれもこれも、皆美しく神さまはお造りになったのだなーとあらためて、素敵なお話に感謝!
欠けた器も、きっとどれもこれも、皆美しく神さまはお造りになったのだなーとあらためて、素敵なお話に感謝!
土の器は造られたときはどれも無傷だったと思いますが、
使われていくうちに、とくに他の器とぶつかって、
欠けたりひびが入ったりするのでしょうね。
でも私たち一人ひとりは
工場で大量生産された「製品」ではなく、
人間国宝の陶芸家が魂をこめて造った
一点ものの「作品」のような存在だから、
造ってくださった神様は一人ひとりが愛おしくて
床の間に飾っておくよりは
欠けてもいいから普段使いで楽んでおられるようですよ。
パウロが、
「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、
むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(二コリ12・9)
と言ったのは、こういうことのような気がします。
今日もお仕事、忙しいのかな?
またすてきな作品を造ってくださいね。
実物を見て触る機会はあまりありませんが、
ブログでのお披露目楽しみにしています。
使われていくうちに、とくに他の器とぶつかって、
欠けたりひびが入ったりするのでしょうね。
でも私たち一人ひとりは
工場で大量生産された「製品」ではなく、
人間国宝の陶芸家が魂をこめて造った
一点ものの「作品」のような存在だから、
造ってくださった神様は一人ひとりが愛おしくて
床の間に飾っておくよりは
欠けてもいいから普段使いで楽んでおられるようですよ。
パウロが、
「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、
むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(二コリ12・9)
と言ったのは、こういうことのような気がします。
今日もお仕事、忙しいのかな?
またすてきな作品を造ってくださいね。
実物を見て触る機会はあまりありませんが、
ブログでのお披露目楽しみにしています。


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